えり。かるがゆえにこの義を問いたてまつる。また、もろもろの衆生を哀愍し利楽せんがためのゆえに、よく如来に如是の義を問いたてまつれり」と。已上
 8『平等覚経』に言わく、仏、阿難に告げたまわく、「世間に優曇鉢樹あり、ただ実ありて華あることなし、天下に仏まします、いまし華の出ずるがごとしならくのみ。世間に仏ましませども、はなはだ値うことを得ること難し。今、我仏に作りて天下に出でたり。もし大徳ありて、聡明善心にして仏意を知るによって、もしわすれずは、仏辺にありて仏に侍えたてまつるなり。もし今問えるところ、普く聴き、諦らかに聴け」と。已上
 9(述文賛)憬興師の云わく、「今日世尊住奇特法」というは、神通輪に依って現じたまうところの相なり、ただ常に異なるのみにあらず、また等しき者なきがゆえに。「今日世雄住仏所住」というは、普等三昧に住して、よく衆魔・雄健天を制するがゆえに。「今日世眼住導師行」というは、五眼を導師の行となづく、衆生を引導するに過上なきがゆえに。「今日世英住最勝道」というは、仏、四智に住したまう、独り秀でたまえること、匹しきことなきがゆえに。「今日天尊行如来徳」というは、すなわち第一義天なり。仏性不空の義をもってのゆえに。「阿難当知如来正覚」というは、すなわち奇特の法なり。「慧見無碍」というは、最勝の道を述するなり。「無能遏絶」というは、すなわち如来の徳なり。已上
 10しかればすなわち、これ顕真実教の明証なり。誠にこれ、如来興世の正説、奇特最勝の妙典、一乗究竟の極説、速疾円融の金言
爾者則此顕真実教明証也。誠是如来興世之正説、奇特最勝之妙典、一乗究竟之極説、