46(観念法門)また云わく、「摂生増上縁」と言うは、『無量寿経』の四十八願の中に説くがごとし。仏の言わく、「もし我成仏せんに、十方の衆生、我が国に生まれんと願じて我が名字を称すること、下十声に至るまで、我が願力に乗じてもし生まれずは、正覚を取らじ」と。これすなわちこれ、往生を願ずる行人、命終わらんとする時、願力摂して往生を得しむ。かるがゆえに摂生増上縁と名づく。
 47また云わく、善悪の凡夫、回心を起行して、ことごとく往生を得しめんと欲す。これまたこれ「証生増上縁」なり、と。已上
 48(般舟讃)また云わく、門門不同にして八万四なり。無明と果と業因とを滅せんための利剣は、すなわちこれ弥陀の号なり。一声称念するに、罪みな除こると。微塵の故業と随智と滅す。覚えざるに、真如の門に転入す。娑婆長劫の難を免るることを得ることは、特に知識釈迦の恩を蒙れり。種種の思量巧方便をもって、選びて弥陀弘誓の門を得しめたまえり。已上抄要
 49しかれば、「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は、至なり、また帰説[よりたのむなり]なり。説の字、悦の音、また帰説[よりかかるなり]なり、説の字は、税の音、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意を宣述るなり。「命」の言は、業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計なり、召なり。ここをもって、「帰命」は本願招喚の勅命なり。
 50「発願回向」と言うは、如来すでに発願して、衆生の行を回施したまうの心なり。
爾者南無之言帰命。帰言至也又帰説也 説字悦音又帰説也 説字税音悦税二音告也述也宣述人意也命言業也招引也使也教也道也信也計也召也是以帰命者本願招喚之勅命也。言発願回向者如来已発願回施衆生行之心也。