かるがゆえに『大本』
(大経)に言わく、声聞あるいは菩薩、よく聖心を究むることなし。たとえば生まれてより盲たるものの、行いて人を開導せんと欲わんがごとし。如来の智慧海は深広にして涯底なし。二乗の測るところにあらず、ただ仏のみ、独り明らかに了りたまえり、と。
已上
『浄土論』に曰わく、「何者か荘厳不虚作住持功徳成就、偈に、仏の本願力を観ずるに、遇うてむなしく過ぐる者なし、よく速やかに功徳の大宝海を満足せしむがゆえにと言えり。」不虚作住持功徳成就は、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。今まさに略して、虚作の相の住持にあたわざるを示して、もってかの不虚作住持の義を顕す。
乃至 言うところの不虚作住持は、本法蔵菩薩の四十八願と、今日阿弥陀如来の自在神力