88この心すなわちこれ無量光明慧に由って生ずるがゆえに。願海平等なるがゆえに発心等し、発心等しきがゆえに道等し、道等しきがゆえに大慈悲等し、大慈悲はこれ仏道の正因なるがゆえに。
願海平等故発心等、発心等故道等、道等故大慈悲等、大慈悲者是仏道正因故。
 89『論の註』に曰わく、かの安楽浄土に生まれんと願ずる者は、発無上菩提心を要す、とのたまえるなり。
 90また云わく、「是心作仏」は、言うこころは、心よく作仏するなり。「是心是仏」は、心の外に仏ましまさずとなり。譬えば、火、木より出でて、火、木を離るることを得ざるなり。木を離れざるをもってのゆえに、すなわちよく木を焼く。木、火のために焼かれて、木すなわち火となるがごときなり。
 91(定善義)光明の云わく、この心作仏す、この心これ仏なり、この心の外に異仏ましまさず、とのたまえり。已上
 92かるがゆえに知りぬ。一心、これを「如実修行相応」と名づく。すなわちこれ正教なり、これ正義なり、これ正行なり、これ正解なり、これ正業なり、これ正智なり。三心すなわち一心なり、一心すなわち金剛真心の義、答え竟りぬ。知るべしと。
故知、一心是名如実修行相応。即是正教、是正義、是正行、是正解、是正業、是正智也。三心即一心、一心即金剛真心之義、答竟。可知。
 93『止観』の一に云わく、「菩提」は天竺の語、ここには「道」と称す。「質多」は天竺の音なり、この方には「心」と云う。「心」はすなわち慮知なり。已上