虚偽ならず、顛倒せざるなり。
 31「願事成就」は、「かくのごとき菩薩は智慧心・方便心・無障心・勝真心をもって、よく清浄仏国土に生ぜしめたまえりと、知るべし」(論)とのたまえり。「知るべし」とは、謂わくこの四種の清浄の功徳、よくかの清浄仏国土に生ずることを得しむ。これ他縁をして生ずるにはあらずと知るべしとなり。「これを菩薩摩訶薩、五種の法門に随順して、所作意に随いて自在に成就したまえりと名づく。さきの所説のごとき身業・口業・意業・智業・方便智業、法門に随順せるがゆえに」(論)とのたまえり。随意自在とは、言うこころは、この五種の功徳力、よく清浄仏土に生ぜしめて、出没自在なるなり。身業とは礼拝なり。口業とは讃嘆なり。意業とは作願なり。智業とは観察なり。方便智業とは回向なり。この五種の業和合せり、すなわちこれ往生浄土の法門に随順して、自在の業成就したまえり、と言えりと。
 32「利行満足」とは、「また五種の門ありて、漸次に五種の功徳を成就したまえりと、知るべしと。何ものか五門。一には近門、二には大会衆門、三には宅門、四には屋門、五には園林遊戯地門なり」とのたまえり。この五種は、入出の次第の相を示現せしむ。入相の中に、初めに浄土に至るはこれ近相なり。謂わく大乗正定聚に入るは、阿耨多羅三藐三菩提に近づくなり。浄土に入り已るは、すなわち如来の大会衆の数に入るなり。衆の数に入り已りぬれば、当に修行安心の宅に至るべし。宅に入り已れば、当に修行所居の屋宇尤挙の反に至るべし。修行成就し已りぬれば、当に教化地に至るべし。教化地はすなわちこれ菩薩の自娯楽の地なり。このゆえに出門を園林遊戯地門と称すと。「この五種の門は、初めの四種の門は入の功徳を成就したまえり。第五門は