無数の仏を供養す、と。已上
 10『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』支謙訳 に言わく、仏の言わく、「阿弥陀仏の光明は最尊第一にして比びなし。諸仏の光明みな及ばざるところなり。八方上下無央数の諸仏の中に、仏の頂中の光明七丈を照らすあり。仏の頂中の光明一里を照らすあり、乃至 仏の頂中の光明二百万仏国を照らすあり。」仏の言わく、「もろもろの八方上下無央数の仏の頂中の光明の炎照するところ、みなかくのごとくなり。阿弥陀仏の頂中の炎照するところ、千万仏国なり。諸仏の光明の照らすところに近遠ある所以は何んとなれば、本それ前世の宿命に、道を求めて菩薩たりしに、所願を照らすに、功徳おのおの自ずから大小あり。それしこうして後、仏に作る時に至りて、おのおの自らこれを得たり。このゆえに光明転た同等ならざらしむ。諸仏の威神同等なるならくのみと。自在の意の所欲、作為して予め計らず。阿弥陀仏の光明の照らすところ、最大なり。諸仏の光明みな及ぶことあたわざるところなり。」仏、阿弥陀仏の光明の極善なることを称誉したもう、「阿弥陀仏の光明は、極善にして善の中の明好なり。それ快きこと比びなし。絶殊無極なり。阿弥陀仏の光明は、清潔にして瑕穢なし、欠減なきなり。阿弥陀仏の光明は、殊好なること日月の明よりも勝れたること、百千億万倍なり。諸仏の光明の中の極明なり。光明の中の極好なり。光明の中の極雄傑なり。光明の中の快善なり。諸仏の中の王なり。光明の中の極尊なり。光明の中の最明無極なり。もろもろの無数天下の幽冥の処を炎照するに、みな常に大明なり。諸有の人民、蜎飛蠕動の類、阿弥陀仏の光明を見ざることなきなり。見たてまつる者、慈心歓喜せざる者なけん。世間諸有の婬泆・瞋怒・愚痴の者、阿弥陀仏の光明を見たてまつりて、