かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。究竟して虚空のごとし、広大にして辺際なし、とのたまえり。已上
 27『註論』に曰わく、「荘厳清浄功徳成就」とは、「偈」に「観彼世界相 勝過三界道故」と言えり。これいかんが不思議なるや。凡夫人、煩悩成就せるありて、またかの浄土に生まるることを得んに、三界の繫業畢竟じて牽かず。すなわちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得。いずくんぞ思議すべきや、と。
 28また云わく、「正道の大慈悲は出世の善根より生ず」(論)とのたまえり。この二句は「荘厳性功徳成就」と名づく。乃至 性はこれ本の義なり。言うこころはこれ浄土は、法性に随順して、法本に乖かず、事、『華厳経』の宝王如来の性起の義に同じ。また言うこころは、積習して性を成ず。法蔵菩薩を指す。もろもろの波羅蜜を集めて、積習して成ぜるところなり。また性と言うは、これ聖種性なり。序めに法蔵菩薩、世自在王仏の所にして無生忍を悟る。そのときの位を聖種性と名づく。この性の中にして四十八の大願を発して、この土を修起したまえり。すなわち安楽浄土と曰う。これ、かの因の所得なり。果の中に因を説く。かるがゆえに名づけて性とす。また性と言うは、これ必然の義なり、不改の義なり。海の性一味にして、衆流入るもの必ず一味になって、海の味、彼に随いて改まざるがごとしとなり。また人身の性不浄なるがゆえに、種種の妙好色香美味、身に入りぬれば、みな不浄となるがごとし。安楽浄土は、もろもろの往生の者、不浄の色なし、不浄の心なし、畢竟じてみな清浄平等無為法身を得しむ。安楽国土清浄の性成就したまえるをもってのゆえなり。「正道の大道大慈悲は、出世の善根より生ず」というは、平等の大道なり。平等の道を名づけて正道とする