仮門の教、欣慕の釈、これいよいよ明らかなり。54二経の三心、顕の義に依れば異なり。彰の義に依れば一なり。三心一異の義、答え竟りぬと。
 55また問う。『大本』と『観経』の三心と、『小本』の一心と、一異いかんぞや。56答う。いま方便真門の誓願について、行あり信あり、また真実あり方便あり。「願」とは、すなわち植諸徳本の願これなり。「行」とは、これに二種あり。一つには善本、二つには徳本なり。「信」とは、すなわち至心回向欲生の心これなり。「機」について定あり散あり。「往生」とは、これ難思往生これなり。「仏」とは、すなわち化身なり。「土」とは、すなわち疑城胎宮これなり。57『観経』に准知するに、この経にまた顕彰隠密の義あるべし。58「顕」と言うは、経家は一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして、難思の往生を勧む。ここをもって『経』(襄陽石碑経)には「多善根・多功徳・多福徳の因縁」と説き、『釈』(法事讃)には「九品ともに回して、不退を得よ」と云えり。あるいは
三心一異之義、答竟。
又問大本観経三心与小本一心、一異云何。答。今就方便真門誓願、有行有信、亦有真実有方便。願者即植諸徳本之願是也。行者此有二種、一者善本、二者徳本也。信者即至心回向欲生之心是也。就機有定有散。往生者此難思往生是也。仏者即化身。土者即疑城胎宮是也。准知観経、此経亦応有顕彰隠密之義。言顕者経家嫌貶一切諸行少善、開示善本徳本真門、励自利一心、勧難思往生。是以経説多善根多功徳多福徳因縁、釈云九品倶回得不退、或云無過念仏往西方 三念五念仏来迎。