楷式たり。釈教は、義を棄て親を棄て、仁ならず孝ならず。闍王、父を殺せる、翻じてなしと説く。調達、兄を射て、無間に罪を得。これをもって凡を導く、更に悪を長すことをなす。これをもって世に範とする、何ぞよく善を生ぜんや。これ逆順の異、十なり。
 内喩に曰わく、義はすなわち道徳の卑しうするところ、礼は忠信の薄きより生ず。瑣仁、匹婦を譏り、大孝は不匱を存す。しこうして、凶に対いて歌い笑う、中夏の容に乖う。喪に臨みて盆を扣く、華俗の訓にあらず。原壌、母死して騎棺して譏らず。子桑死するとき子貢弔う。四子あい視て歌う。しかるに孔子、時に助けて祭りて笑う。荘子、妻死す、盆を扣きて歌うなり。かるがゆえにこれを教うるに孝をもってす、天下の人父たるを敬する所以なり。これを教うるに忠をもってす、天下の人君たるを敬する所以なり。化、万国に周し、すなわち明辟の至れるなり。仁、四海に形る、実に聖王の巨孝なり。仏経に言わく、「識体、六趣に輪回す、父母にあらざるなし。生死、三界に変易す、たれか怨親を弁えん。」また言わく、「無明、慧眼を覆う、生死の中に来往す。往来して所作す、更にたがいに父子たり。怨親しばしば知識たり、知識しばしば怨親たり。」ここをもって沙門、俗を捨てて真に趣く、庶類を天属に均しうす。栄を遺てて道に即く、含気を己親に等しくす。行、普く正しきの心。等しく普き親の志なり。また道は清虚を尚ぶ、それは恩愛を重くす。法は平等を貴ぶ、それ怨親を簡わんや。あに惑にあらずや。勢競、親を遺る、文史、事を明かす。斉桓・楚穆、これその流なり。もって聖を訾らんと欲う、あに謬れるにあらずや。それ道の劣、十なり。乃至
 167二皇、化を統べて 『須弥四域経』に云わく、応声菩薩を伏義とす、吉祥菩薩を女媧とするなり、淳風の初めに居り、三聖、