「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。
「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。
「我」の言は、尽十方無碍光如来なり、不可思議光仏なり。
「能」の言は、不堪に対するなり、疑心の人なり。
「護」の言は、阿弥陀仏果成の正意を顕すなり、また摂取不捨を形すの貌なり、すなわちこれ現生護念なり。
「念道」の言は、他力白道を念ぜよとなり。
「慶楽」とは、「慶」の言は印可の言なり、獲得の言なり、「楽」の言は悦喜の言なり、歓喜踊躍なり。
「仰ぎて釈迦発遣して指えて西方に向かえたまうことを蒙る」というは、順なり。
「また弥陀の悲願招喚したまうに藉る」というは、信なり。
「いま二尊の意に信順して水火二河を顧みず、念念に遺るる