来生我国、究竟必至一生補処。除其本願自在所化、為衆生故、被弘誓鎧積累徳本、度脱一切遊諸仏国修菩薩行、供養十方諸仏如来、開化恒沙無量衆生、使立無上正真之道。超出常倫、諸地之行現前修習普賢之徳。若不爾者、不取正覚」
 この悲願は、如来の還相回向の御ちかいなり。
 如来の二種の回向によりて、真実の信楽をうる人は、かならず正定聚のくらいに住するがゆえに、他力ともうすなり。
 しかれば、『無量寿経優婆提舎願生偈』に曰わく、「云何回向。不捨一切苦悩衆生、心常作願、回向為首得成就大悲心故」
 これは『大無量寿経』の宗致としたまえり。これを難思議往生ともうすなり。
 観経往生というは、修諸功徳の願により、至心発願のちかいにいりて、万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕せしむるなり。しかれば、『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏をときて、九品往生をすすめたまえり。これは他力の中に自力を宗致としたまえり。このゆえに観経往生ともうすは、これみな方便化土の往生なり。これを双樹林下往生ともうすなり。
 至心発願の願、『大経』に言わく、「設我得仏、十方衆生 発菩提心 修諸功徳、至心発願、欲生我国、臨終終時 仮令不与大衆囲繞現其人前者 不取正覚」
 また『悲華経』大施品に言わく、「願我成阿耨多羅三藐三菩提已、其余無量無辺阿僧祇諸仏世界所有衆生、