枝葉四布二十万里、一切衆宝、自然合成。以月光摩尼・持海輪宝衆宝之王、而荘厳之。周迊樤間垂宝瓔珞。百千万色種種異変。無量光炎照耀無極。珍妙宝網羅覆其上。乃至 一切皆得甚深法忍住不退転。至成仏道、六根清徹無諸悩患」已上略出
 首楞厳院の『要集』に引感禅師釈いわく、「問、菩薩処胎経第二説、西方去此閻浮提十二億那由他、有懈慢界。乃至 発意衆生、欲生阿弥陀仏国者、深着懈慢国土、不能前進生阿弥陀仏国。億千万衆、時有一人、能生阿弥陀仏国云云、以此経准難可得生。答、群疑論引善導和尚前文、而釈此難。又自助成云、此経下文言、何以故、皆由懈慢執心不牢固。是知、雑修之者、為執心不牢之人。故生懈慢国也。若不雑修専行此業、此即執心牢固、定生極楽国。乃至 又報浄土生者、極少。化浄土中生者不少。故経別説、実不相違也。」已上略出
 これらの文のこころにて、双樹林下往生ともうすことをよくよくこころえたまうべし。
 弥陀経往生というは、植諸徳本の誓願によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号をえらびて万善諸行の少善をさしおく。しかりといえども、定散自力の行人は、不可思議の仏智を疑惑して信受せず、如来の尊号をおのれが善根として、みずから浄土に回向して、果遂のちかいをたのむ。不可思議の名号を称念しながら、不可称・不可説・不可思議の大悲の誓願をうたがう。そのつみ、ふかくおもくして、七宝の牢獄にいましめられて、いのち五百歳のあいだ、自在なることあたわず、三宝をみたてまつらず、つかえたてまつることな