乗信御房

(七)往生はなにごともなにごとも……おかしくそうろう―――「御消息集(広本)」第五通末尾に同じ。
   如来の誓願を……―――「御消息集(善性本)」第二通ロに同じ。

(八)また、五説というは、よろずの経をとかれ候うに、五種にはすぎず候うなり。一には仏説、二には聖弟子の説、三には天仙の説、四には鬼神の説、五には変化の説といえり。このいつつのなかに、仏説をもちいてかみの四種をたのむべからず候う。この三部経は、釈迦如来の自説にてましますとしるべしとなり。四土というは、一には法身の土、二には報身の土、三には応身の土、四には化土なり。いまこの安養浄土は報土なり。三身というは、一には法身、二には報身、三には応身なり。いまこの弥陀如来は報身如来なり。三宝というは、一には仏宝、二には法宝、三には僧宝なり。いまこの浄土宗は仏宝なり。四乗というは、一には仏乗、二には菩薩乗、三には縁覚乗、四には声聞乗なり。いまこの浄土宗は菩薩乗なり。二教というは、一には頓教、二には漸教なり。いまこの教は頓教なり。二蔵というは、一には菩薩蔵、二には声聞蔵なり。いまこの教は菩薩蔵なり。二道というは、一には難行道、二には易行道なり。いまこの浄土宗は易行道なり。二行というは一には正行、二には雑行なり。いまこの浄土宗は正行を本とするなり。二超というは、一には竪超、二には横超なり。いまこの浄土宗は横超なり。竪超は聖道自力なり。二縁というは、一には無縁、二には有縁なり。いまこの浄土は有縁の教なり。二住というは、一には止住、二には不住なり。いまこの浄土教は法滅百歳まで住したまいて、有情を利益したまうとなり。不住は聖道諸善なり。諸善はみな龍宮へかくれいりたまいぬるなり。