本願寺聖人伝絵 下末

 聖人、東関の堺を出でて、花城の路におもむきましましけり。或日晩陰におよんで箱根の険阻にかかりつつ、遥に、行客の蹤を送りて、漸人屋の樞にちかづくに、夜もすでに暁更におよんで、月もはや孤嶺にかたぶきぬ。時に、聖人あゆみよりつつ、案内したまうに、まことに齢傾きたる翁のうるわしく装束たるがいとこととく出会いたてまつりて、いう様、「社廟ちかき所のならい巫どもの、終夜、あそびし侍るに、おきなもまじわりつるに、いまなんいささかよりい侍ると、思うほどに、夢にもあらず、うつつにもあらで、権現仰せられて云わく、「只今われ尊敬をいたすべき客人、此の路を過ぎ給うべき事あり、かならず慇懃の忠節を抽でて、殊に丁寧の饗応を儲くべし」と云々 示現いまだ覚おわらざるに、貴僧忽爾として影向し給えり。何ぞただ人にましまさん。神勅是炳焉なり。感応、最恭敬す」といいて、尊重崛請したてまつりて、さまざまに飯食を粧い、色々に珍味を調えけり。
    (絵)
 聖人故郷に帰りて往事をおもうに、年々歳々夢のごとし、幻のごとし。長安・洛陽の栖も跡をとどむるに嬾しとて、扶風馮翊ところどころに移住したまいき。五条西洞院わたり、一つの勝地なりとて、しばらく居をしめたまう。今比、いにしえ口決を伝え、面受を遂げし門徒等、おのおの好を慕い、路を尋ねて、参集したま