二字は、すなわち帰命というこころなり。帰命というは、衆生の、阿弥陀仏後生たすけたまえとたのみたてまつるこころなり。また発願回向というは、たのむところの衆生を、摂取してすくいたまうこころなり。これすなわちやがて「阿弥陀仏」の四字のこころなり。さればわれらごときの愚痴闇鈍の衆生は、なにとこころをもち、また弥陀をばなにとたのむべきぞというに、もろもろの雑行をすてて、一向一心に、後生たすけたまえと弥陀をたのめば、決定、極楽に往生すべきことさらにそのうたがいあるべからず。このゆえに、「南無」の二字は、衆生の弥陀をたのむ機のかたなり。また「阿弥陀仏」の四字は、たのむ衆生をたすけたまうかたの法なるがゆえに、これすなわち機法一体の南無阿弥陀仏ともうすこころなり。この道理あるがゆえに、われら一切衆生の往生の体は、南無阿弥陀仏ときこえたり。あなかしこ、あなかしこ。
   明応七年四月 日

15 そもそも当国摂州東成郡、生玉の庄内、大坂という在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや、さんぬる明応第五の秋、下旬のころより、かりそめながらこの在所をみそめしより、すでにかたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ、当年ははやすでに三年の歳霜をへたりき。これすなわち往昔の宿縁あさからざる因縁なりとおぼえはんべりぬ。それについて、この在所に居住せしむる根元は、あながちに一生涯をこころやすくすごし、栄花栄耀をこのみ、また花鳥風月にもこころをよせず、あわれ、無上菩提のためには、信心決定の行者も繁昌せしめ、念仏をももうさんともがらも、出来せしむるようにもあれかしとおもう一念のこころざしをはこぶばかりなり。またいささかも世間の人なんども、偏執のやからもあり、むつかしき題目なんども出来あら