諸佛の光明の中の快善なり。無量淸淨佛の光明は、諸佛の光明の中の王なり。無量淸淨佛の光明は、諸佛の光明の中の最極尊なり。無量淸淨佛の光明は、諸佛の光明の中の壽明無極なり。無量淸淨佛の光明は、諸の無央數の天下の幽冥の處を焔照するに、皆常に明かなり。諸有の人民・蜎飛・蠕動の類、無量淸淨佛の光明を見たてまつらざること莫し。無量淸淨佛の光明を見たてまつりて、慈心歡喜せざる者莫けん。世間諸有の婬姪・瞋怒・愚癡も、無量淸淨佛の光明を見たてまつりて、善を作さざる者莫けん。諸の泥犁・禽獸・薛茘・考掠・勤苦の處にありて、無量淸淨佛の光明を見たてまつれば、至て皆休止して復治することを得ざれども、。死して後憂苦を解脱することを得ざる者は莫きなり。無量淸淨佛の光明と名とは、八方・上下の無窮無極無央數の佛國に聞かしめたまふ。諸天・人民、聞知せざること莫し、聞知せん者、過度を得ざる者莫し。佛言はく。我獨り無量淸淨佛の光明を稱譽せざればなり。八方・上下の無央數の諸佛・辟支佛・菩薩・阿羅漢の稱譽する所皆是の如し。佛言はく。其れ人民有りて、善男子・善女人、無量淸淨佛の聲を聞きて、光明を稱譽して、是の如く朝暮に常に其の光明の明好を稱譽して、心を至して斷絶せざれば、心の欲願する所に在りて、無量淸淨佛國に往生し、。諸の菩薩・阿羅漢の爲に尊敬せられ、智慧勇猛なることを得べし。若し其れ然して後作佛せば、亦當に復八方・上下の無央數の辟支佛・菩薩・阿羅漢の爲に、光明を稱譽せらるること、亦當に復是の如くなるべし。則ち衆の比丘僧、諸の菩薩・阿羅漢、諸の天・帝王・人民、之を聞きて皆歡喜し踊躍して、讃歎せざる者莫けん。佛言はく。我道ふ、無量淸淨佛の光明は、姝好にして巍巍たり。快善なることを稱譽すること、晝夜一劫すれども、尚未だ竟らず。我但若曹が爲に小しく之を説くのみ。佛無量淸淨の菩薩爲りしとき、求索して是の二十四願を得たまふことを説きたまふ。時に阿闍世王太子、五百の大長者迦羅越の子と與に、各々一の金華蓋を持して、前みて佛に上り已りて、悉く坐して一面に却き、經を聽けり。阿闍世王太子及び五百の長者子、無量淸淨佛の二十四願聞きて、皆大に歡喜し踊躍して、心中に倶に願じて言く。我等後作佛せん時、皆無量淸淨佛の如くならしめん。