釋の曇鸞法師は、并州の汶水縣の人なり。魏の末高齊の初、猶ほ神智高遠にして三國に在て知聞せらる。洞らかに衆經に暁きらかにして、獨り人外に出たり。梁國の天子蕭王、恒に北に向て鸞菩薩と禮つる。往生論を註解して、裁て兩卷と成す。事釋の迦才の三巻の淨土論に出たるなり。

 建長八歳 丙辰 七月廿五日   愚禿親鸞 八十四歳 加點了