是を衆生世間淸淨と名く。安樂國土には是の如き等の二十九種の莊嚴功徳成就を具す、故に淨土と名く。
問て曰く。安樂土に生ずる者には凡そ幾輩有りや、輩に因縁有りや。答て曰く。『无量壽經』の中には唯三輩有り、上中下なり。『无量壽觀經』の中には、一品の中を又分ちて上中下と爲して、三三にして九なり、合して九品と爲す。今傍へて『无量壽經』に依り讃を爲る。且く此の經の三品に據て之を論ぜん。上輩生には、五の因縁有り。一には家を捨て欲を離れて沙門と作る。二には无上菩提の心を發す。三には一向に專ら无量壽佛を念ず。四には諸の功徳を脩す。五には安樂國に生まれんと願ず。此の五縁を具すれば命終の時に臨みて无量壽佛諸の大衆と其の人の前に現ぜん。即便ち佛に隨ひて安樂に往生し、七寶の華の中に自然に化生し、不退轉に住せん。智慧勇猛にして神通自在ならん。中輩生には、七の因縁有り。一には无上菩提の心を發す。二には一向に專ら无量壽佛を念ず。三には少多善を脩し齋戒を奉持す。四には塔像を起立す。五には沙門に飯食せしむ。六には繒を懸け燈を燃し華を散じ香を燒く。七には此を以て迴向して安樂に生まれんと願ず。命終の時に臨みて无量壽佛其の身を化現して、光明相好具に眞佛の如くならん、諸の大衆と其の人の前に現ぜん、即ち化佛に隨ひて安樂に往生し不退轉に住せん、功徳智慧次で上輩のごとくならん。又一種の安樂に往生するもの有り、三輩の中に入らず。謂く疑或の心を以て功徳を脩め安樂に生まれんと願ぜん、佛智・不思誼智・不可稱智・大乘廣智・无等无倫最上勝智を了せずして、此の諸智に於て疑惑して信ぜず。然も猶罪福を信じ善本を脩習して生ぜんと願ず。下輩生には、三の因縁有り。一には假使ひ能はざれども諸の功徳を作すこと、當に無上菩提の心を發すべし。二には一向に意を專にして乃至無量壽佛を十念す。三には至誠心を以て安樂に生まれんと願ず。命終の時に臨みて夢のごとくに无量壽佛を見たてまつり、亦往生を得ん、功徳智惠次で中輩の如くならんと。又一種の安樂に往生するもの有り、三輩の中に入らず。謂く疑惑の心を以て諸の功徳を脩すること、前説に異ならず。安樂國に生れ已りて十寶の宮殿或は百由旬或は五百由旬なり、各々其の中に於て諸の快樂を受くること、忉利天の如くにして亦皆自然なり。五百歳に佛を見たてまつらず、