第三に此彼の淨穢二境を亦漏・無漏と名けて比挍す。第四に聖敎を引きて證成し後代を勸めて信を生じ往を求めしむ。
[第五大門 一、修道延促]
第一に汎く修道の延促を明かすとは、中に就て二有り。一に修道の延促を明し、二に問答解釋す。  一に延促を明かすとは、但一切衆生苦を厭ひて樂を求め縛を畏れ解を求めざるは莫し。皆早く無上菩提を證せんと欲する者は先づ須く菩提心を發すを首と爲すべし。此の心識り難く起し難し。縱令ひ此の心を發得するも經に依て終に須く十種の行、謂ゆる信・進・念・戒・定・慧・捨・護法・發願・廻向を修して菩提に進詣すべし。然るに修道の身相續して絶えずして、一萬劫を逕て始めて不退の位を證す。當今の凡夫は現に信想輕毛と名く、亦假名と曰へり、亦不定聚と名く、亦外の凡夫と名く。未だ火宅を出でず。何を以て知ることを得ん。『菩薩瓔珞經』に據て具に入道行位を辨ずるに法爾なるが故に難行道と名く。又但以一劫の中の受身生死すら尚數へ知るべからず、況や一萬劫の中に徒に痛燒を受くるをや。若し能く明らかに佛經を信じて淨土に生ぜんと願ずれば、壽の長短に隨ひて一形に即ち至りて位不退に階ふ。此の修道一萬劫と功を齊しくす。諸の佛子等何ぞ思量せずして難を捨てて易を求めざらんや。『倶舍論』の如きも中に亦難行・易行の二種の道を明す。難行とは『論』(倶舍譯論卷九意)に説きて云ふが如し。「三大阿僧祇劫に於て一一の劫の中に皆福智の資糧六波羅蜜一切の諸行を具す。一一の行業に皆百萬の難行の道有りて始めて一位に充つ」と。是難行道なり。易行道とは即ち彼の『論』(倶舍譯論卷九意)に云く。「若し別に方便有るに由て解脱有る者を易行道と名くるなり」と。今既に極樂に勸歸し一切の行業悉く彼に廻向す。但能く專至なれば壽盡きて必ず生ぜん。