一切の法皆是化なり。是の法の中に於て聲聞の法の變化有り、辟支佛の法の變化有り、菩薩の法の變化有り、諸佛の法の變化有り、煩惱の法の變化有り、業因縁の法の變化有り。是の因縁を以ての故に、須菩提、一切の法皆是化なりとのたまへり。須菩提佛に白して言さく。世尊、是の諸の煩惱斷は、所謂須陀洹果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果、辟支佛道は、諸の煩惱の習を斷ず、皆是變化なりや不や。佛須菩提に告げたまはく。若し法の生滅の相有るは、皆是變化なりとのたまへり。須菩提言さく。世尊、何等の法か變化に非ざると。佛言はく。若し法の無生無滅なる、是變化に非ずと。須菩提言さく。何等か是不生不滅にして變化に非ざると。佛言はく。誑相無き涅槃、是の法變化に非ずと。世尊、佛自ら説きたまふが如き、諸法平等にして聲聞の作に非ず、辟支佛の作に非ず、諸菩薩摩訶薩の作に非ず、諸佛の作に非ず、有佛無佛、諸法の性常に空なり、性空なる即ち是涅槃なり、云何が涅槃の一法化の如くに非ざると。佛須菩提に告げたまはく。是の如し是の如し、諸法は平等にして聲聞の所作に非ず、乃至性空なれば即ち是涅槃なり。若し新發意の菩薩、是の一切の法皆畢竟じて性空なり、乃至涅槃も亦皆化の如しと聞かば、心則ち驚怖しなん。是の新發意の菩薩の爲に、故らに生滅の者は化の如し、不生不滅の者は化の如きにはあらざると分別するをや」。今既に斯の聖敎を以て驗かに知んぬ、彌陀は定んで是報なり。縱使ひ後に涅槃に入らんも、其の義妨無けん。諸の有智の者知るべし。 問て曰く。彼の佛及び土、既に報と言はば、報法高妙にして、小聖階ひ難し、垢障の凡夫云何が入ることを得んや。答て曰く。若し衆生の垢障を論ぜば實に欣趣し難し。正しく佛願に託するに由て以て強縁と作りて、五乘をして齊しく入らしむることを致す。 問て曰く。若し凡夫・小聖生ずることを得と言はば、何が故ぞ天親の『淨土論』に