應に知るべし。「爾時世尊告韋提」と言ふ已下は、正しく告命許説を明す。「阿彌陀佛不遠」と言ふは、正しく境を標して以て心を住むることを明す、即ち其の三有り。一には分齊遠からず、此より十万億刹を超過して、即ち是彌陀の國なることを明す。二には道里遙かなりと雖も、去く時一念に即ち到ることを明す。三には韋提等及び未來有縁の衆生、心を注めて觀念すれば、定境相應して、行人自然に常に見ることを明す。斯の三義有るが故に不遠と云ふ。「汝當繋念」と言ふ已下は、正しく凡惑障深くして、心多く散動す。若し頓に攀縁を捨て、淨境現ずることを得るに由無きことを明す。此れ即ち正しく安心住行を敎ふ。若し此の法に依るをば、名けて淨業成ずと爲す。「我今爲汝」と言ふ已下は、此れ機縁未だ具せず、偏に定門を説くべからず、佛更に機を觀じて自ら三福の行を開きたまふことを明す。
三に「亦令未來世」より下「極樂國土」に至る已來は、正しく機を擧げて修を勸め益を得しむることを明す。此れ夫人の請ふ所、利益彌々深く、未來に及ぶまで廻心して皆到ることを明す。
四に「欲生彼國者」より下「名爲淨業」に至る已來は、正しく三福の行を勸修することを明す。此は一切衆生の機に二種有ることを明す。一には定、二には散なり。若し定行に依れば即ち生を攝するに盡きず。是を以て如來方便して、三福を顯開して以て散動の根機に應じたまへり。「欲生彼國」と言ふは、所歸を標指す。「當修三福」と言ふは、總じて行門を標す。云何が三と名くる。一には孝養父母、即ち其の四有り。一に「孝養父母」と言ふは、此れ一切の凡夫皆縁に藉りて生ずることを明す。云何が縁に藉る。或は化生有り、或は溼生有り、或は卵生有り、或は胎生有り。此の四生の中に各各に復四生有り。經に廣く説くが如し。但是相因て生ずれば、即ち父母有り。既に父母有れば、即ち大恩有り。若し父無くんば、能生の因即ち闕けなん。