觀經正宗分定善義 卷第三

沙門善導集記
此より已下は、次に正宗を辨ず。即ち其の十六有り。還一一の觀の中に就て、文に對して料簡す。勞はしく預め顯さず。今正宗を定立するに、諸師と同じからず。今直に以て法に就て定むれば、日觀の初句より下下品下生に至る已來は、是其の正宗なり。日觀より已上は多義の不同有りと雖も、此の文勢を看るに但是由序なり。應に知るべし。
[一、日觀]
初の日觀の中に就て、先づ擧げ、次に辨じ、後に結す。即ち其の五有り。
一に「佛告韋提」より下「想於西方」に至る已來は、正しく總じて告げ總じて勸むることを明す。此れ韋提前に彌陀佛國を請ひ、又正受の行を請ふに、如來時に當りて即ち許して爲に説きたまふことを明す。但機縁未だ備らず行を顯すこと未だ周からざるを以て、更に三福の因を開きて、以て未聞の益を作し、又如來重ねて告げて流通を勸發したまふ。此の法聞き難ければ廣く開悟せしむ。「佛告韋提汝及衆生」と言ふは、此れ告勸を明す。若し等しく塵勞を出でて佛國に生ずることを求めんと欲せば、宜しく須く意を勵ますべし。「應當專心」と言ふ已下は、此れ衆生散動して、識猨猴よりも劇しく、心六塵に徧して、暫くも息むに由無きことを明す。但以みれば境縁一に非ず、目に觸れて貪を起し想を亂る。心を三昧に安んずること、何ぞ得べき。縁を捨て靜に託するに非ざるよりは、相續して心を注めんや。直ちに西方を指すは、餘の九域を簡ぶなり。是を以て身を一にし、心を一にし、廻向を一にし、