佛即ち之を聞きたまふ。身に常に佛を禮敬すれば、佛即ち之を見たまふ。心に常に佛を念ずれば、佛即ち之を知りたまふ。衆生佛を憶念すれば、佛も亦衆生を憶念したまふ。彼此の三業相捨離せず。故に親縁と名くるなり。二には近縁を明す。衆生佛を見たてまつらんと願ずれば、佛即ち念に應じ現じて目の前に在ます。故に近縁と名くるなり。三には增上縁を明す。衆生稱念すれば、即ち多劫の罪を除く。命終らんと欲する時、佛聖衆と自ら來りて迎接したまふ。諸邪業繋も、能く礙ふる者無し。故に增上縁と名くるなり。自餘の衆行是善と名くと雖も、若し念佛に比ぶれば、全く比挍に非ざるなり。是の故に諸經の中に、處處に廣く念佛の功能を讚へたり。『無量壽經』の四十八願の中の如き、唯彌陀の名號を專念して生を得と明す。又『彌陀經』の中の如し、一日七日彌陀の名號を專念して生を得と。又十方恒沙の諸佛の證誠虚しからざるなり。又此の經の定散の文の中に、唯名號を專念して生を得と標す。此の例一に非ざるなり。廣く念佛三昧を顯し竟んぬ。
六に「其光相好」より已下は、少を結して多を顯す。輒く觀ぜんと欲はん者は、周悉することを爲し難し。
七に「但當憶想」より已下は、正しく莊嚴微妙にして、凡境に出過せることを明す。未だ目の前に證せずと雖も、但當に憶想して心眼をして見たてまつらしむべし。
八に「見此事者」より下「攝諸衆生」に至る已來は、正しく功呈れて失せず觀の益成ずることを得ることを明す。即ち其の五有り。一には觀に因て十方の諸佛を見たてまつることを得ることを明す。二には諸佛を見たてまつるを以ての故に念佛三昧を結成することを明す。三には但一佛を觀じて即ち一切の佛身を觀ずることを明す。四には佛身を見たてまつるに由るが故に、即ち佛心を見たてまつることを明す。五には佛心は慈悲を體と爲し、此の平等の大慈を以て、普く一切を攝したまふことを明す。
九に「作此觀者」より下「得無生忍」に至る已來は、正しく身を捨てて他世に彼に生ずる益を得ることを明す。