十に「是故智者」より下「現前授記」に至る已來は、重ねて修觀の利益を結勸することを明す。即ち其の五有り。一には能修觀の人を簡び出すことを明す。二には心を專にして諦かに無量壽佛を觀ずることを明す。三には相好衆多なれば、總雜して觀ずることを得ず、唯白毫の一相を觀ずべきことを明す。但白毫を見ることを得れば、一切の衆相自然に現ず。四には既に彌陀を見たてまつれば、即ち十方の佛を見たてまつることを明す。五には既に諸佛を見たてまつれば、即ち定中にして授記を蒙ることを得ることを明す。
十一に「是爲徧觀」より已下は總じて結す。
十二に「作此觀」より已下は、正しく觀の邪正の相を辨ずることを明す。斯れ乃ち眞形量遠くして、毫五山の若し。震響機に隨ひて、光有識を沾す。含靈をして歸命し注想して遺無く、佛の本弘に乘じて齊しく彼の國に臨ましめんと欲す。
上來十二句の不同有りと雖も、廣く眞身觀を明し竟んぬ。
[一〇、觀音觀]
十に觀音觀の中に就て、亦先づ擧げ、次に辨じ、後に結す。即ち其の十五有り。
一に「佛告阿難」より下「菩薩」に至る已來は、正しく前の眞身觀を結成して、後の菩薩觀を生ずることを明す。
二に「此菩薩身長」より下「皆於中現」に至る已來は、正しく總じて身相を標することを明す。即ち其の六有り。一には身量の大小を明す。二には身色佛と同じからざることを明す。三には肉髻佛の蠃髻と同じからざることを明す。四には圓光の大小を明す。五には化佛侍者の多少を明す。六には身光普く五道の衆生を現ずることを明す。
三に「頂上毘楞伽」より下「二十五由旬」に至る已來は、正しく天冠の内の化佛の殊異を明す。
四に「觀音」より已下は、正しく面色と身色と同じからざることを明す。
五に「眉間」より下「蓮華色」に至る已來は、正しく毫光轉變して十方に徧滿し、化侍彌々多くして更に紅蓮の色に比することを明す。即ち其の五有り。一には毫相七寶の色を作すことを明す。