及即ち化佛等と同時に手を接したまふことを明す。九には既に接して臺に昇らしめて、觀音等同聲に行者の心を讚勸することを明す。十には自ら見れば臺に乘じ佛に從ふことを明す。十一には正しく去時の遲疾を明す。
十に「生彼國」より已下は、正しく金臺彼に到りて、更に華合の障無きことを明す。
十一に「見佛色身」より下「陀羅尼門」に至る已來は、正しく金臺到りて後、益を得ること同じからざることを明す。即ち其の三有り。一には初めて妙法を聞きて、即ち無生を悟る。二には須臾に歴事して、次第に授記せらる。三には本國他方にして、更に聞持の二益を證す。
十二に「是名」より已下は、總じて結す。
上來十二句の不同有りと雖も、廣く上品上生の義を解し竟んぬ。
[上品中生釋]
次に上品中生の位の中に就て、亦先づ擧げ、次に辨じ、後に結す。即ち其の八有り。
一に「上品中生者」より已下は、總じて位の名を擧ぐ。即ち是大乘次善の凡夫人なり。
二に「不必受持」より下「生彼國」に至る已來は、正しく第六・第七・第八門の中の、所修の業を廻して、西方を指すことを定め明す。即ち其の四有り。一には受法不定にして、或は讀誦を得、讀誦を得ざることを明す。二には善く大乘の空の義を解することを明す。或は諸法は一切皆空なり、生死無爲も亦空なり、凡聖明闇も亦空なり。世間の六道、出世間の三賢・十聖等、若し其の體性に望むれば畢竟じて不二なりと聽聞く。此の説を聞くと雖も、其の心坦然として疑滯を生ぜず。三には深く世・出世の苦樂二種の因果を信じ、此等の因果及び諸の道理に疑謗を生ぜざることを明す。若し疑謗を生ずれば、即ち福行を成ぜず、世間の果報、尚得べからず、何に況や淨土に生ずることを得んや。此れ即ち第三福の第二・第三の句に合す。四には前の所業を回して、所歸を標指することを明す。
三に「行此行者」より下「迎接汝」に至る已來は、