二に「下品上生者」よりは、正しく其の位を辨定することを明す。即ち是十惡を造る輕罪の凡夫人なり。
三に「或有衆生」より下「無有慙愧」に至る已來は、正しく第五門の中の簡機に、一生已來の造惡の輕重の相を擧出することを明す。即ち其の五有り。一には總じて造惡の機を擧ぐることを明す。二には衆惡を造作することを明す。三には衆罪を作ると雖も、諸の大乘に於て誹謗を生ぜざることを明す。四には重ねて造惡の人を牒して、智者の類に非ざることを明す。五には此等の愚人衆罪を造ると雖も、總じて愧心を生ぜざることを明す。
四に「命欲終時」より下「生死之罪」に至る已來は、正しく造惡の人等、臨終に善に遇ひて法を聞くことを明す。即ち其の六有り。一には命延久しからざることを明す。二には忽ち往生の善知識に遇ふことを明す。三には善人爲に衆經を讚ずることを明す。四には已に經を聞く功力、罪を除くこと千劫なることを明す。五には智者敎を轉じて彌陀の號を稱念せしむることを明す。六には彌陀の名を稱するを以ての故に、罪を除くこと五百萬劫なることを明す。 問て曰く。何が故ぞ經を聞くこと十二部するには、但罪を除くこと千劫、佛を稱すること一聲するには、即ち罪を除くこと五百萬劫なるは、何の意ぞや。答て曰く。造罪の人障重く、加ふるに死苦來り逼むるを以て、善人多くの經を説くと雖も、飡受の心浮散す。心散ずるに由るが故に、罪を除くこと稍輕し。又佛名は是一なれども、即ち能く散を攝して以て心を住めしむれば、復敎へて正念に名を稱せしむ。心重きに由るが故に、即ち能く罪を除くこと多劫なり。
五に「爾時彼佛」より下「生寶池中」に至る已來は、正しく第九門の中の、終時に化衆の來迎と、去時の遲疾を明す。即ち其の六有り。一には行者正しく名を稱する時、彼の彌陀即ち化衆を遣はして、聲に應じて來現せしめたまふことを明す。二には化衆既已に身現じて、即ち同じく行人を讚ずることを明す。三には所聞の化讚、但稱佛の功を述べて、「我來迎汝」といひて聞經の事を論ぜざることを明す。然るに佛願の意を望むには、唯正念を勸めて名を稱せしむ。