[轉經分 第九段]
 高座入文。
「舍利弗、若し善男子・善女人有りて、阿彌陀佛を説くを聞きて、名號を執持すること、若しは一日、若しは二日、若しは三日、若しは四日、若しは五日、若しは六日、若しは七日、一心にして亂れざれば、其の人命終の時に臨みて、阿彌陀佛、諸の聖衆と與に、現じて其の前に在まさん。是の人終らん時、心顛倒せずして、即ち阿彌陀佛の極樂國土に往生することを得ん。舍利弗、我是の利を見るが故に此の言を説く。若し衆生有りて、是の説を聞かん者は、當に發願して彼の國土に生ずべし。」

 下高に接して讚じて云へ。

願はくは往生せん、願はくは往生せん。極樂は無爲涅槃の界なり、隨縁の雜善恐らくは生じ難し。故に如來要法を選びて、敎へて彌陀を念ぜしめて專にして復專ならしめたまへり。七日七夜心無間に、長時の起行も倍々皆然なり。臨終に聖衆華を持ちて現ず。身心踊躍して金蓮に坐す。坐する時即ち無生忍を得、一念に迎將して佛前に至る。法侶衣を將ちて競ひ來りて著せしむ。不退を證得して三賢に入る。衆等心を回して皆往かんことを願じて、手に香華を執りて常に供養したてまつれ。

 高下に接して讚じて云へ。 下高に接して讚じて云へ。

願はくは往生せん、願はくは往生せん。彌陀の侍者二菩薩を、號して無邊・觀世音と曰ふ。一切の時中に佛化を助け、六道に分身して慈心を起し、念念に機に隨ひて爲に法を説きたまふ。惛惛として悟り難く罪根の深し。百計千萬數々世に出でたまふも、万が中に一りも煩籠を出づるもの無し。汝衆生の長劫の苦を念ふ、諸佛と對面するも相逢はざるがごとし。人天の少善尚辨じ難し。何に況や無爲にして六通を證せんをや。