竊かに以みれば彌陀の妙果をば號して無上涅槃と曰ふ。國土則ち廣大にして莊嚴徧滿し自然の衆寶なり。觀音大士左に靈儀に侍し、勢至慈尊則ち右邊に供養す。三華獨り迥に寶幔軀に臨む。珠内に光を輝かし、天の聲は外に繞り、聲聞・菩薩數塵沙に越え、化鳥・天同じく會に徧せざること無し。他方の聖衆起りて雲の奔るが若く、凡惑同じく生ずること盛りなる雨に過踰せり。十方より來る者、皆佛邊に到りて、鼓樂彌々歌ひ、香華繞り讚ず。供養周く訖りて、處に隨ひて徧歴親承す。或は百寶の池渠の會に入り、或は寶樓宮殿の會に入り、或は寶林寶樹の會に入り、或は虚空の會に上り、或は大衆無生法食の會に入る。是の如きの淸淨莊嚴大會の聖衆等、同じく行じ同じく坐し、同じく去り同じく來る。一切の時中に證悟せざること無し。西方極樂の種種の莊嚴、歎ずとも能く盡すこと莫けん。然るに今淸信の弟子某甲等、爾許多の人、身を知れば假合の四大共に成ぜり、命を識れば浮危なること、譬へば嚴霜の日に對するに似たり。十方六道同じく此れ輪回して際無し、循循として愛波に沈みて苦海に沈む。佛道人身得難くして今已に得たり、淨土聞き難くして今已に聞けり、信心發し難くして今已に發せり。仰いで惟みれば、今時の同生知識等、爾許多の人、恐畏らくは命は石火に同じ、久しく照らすこと期し難し。識性は無常なり、逝くこと風燭に踰えたり。故に人人同じく願じて共に往生の業を結ぶ。各々『彌陀經』を誦すること爾許萬徧、彌陀の名を念ずること爾許萬徧。又某の功德等を造ること、普く皆周備す。故に某月日に於て、院宇を莊嚴し、道場を瑩飾し、僧尼を奉請して、宿宵行道す。又廚皇の百味の種種の甘香を以て、佛及以び僧徒に奉りて、同心に慶喜す。又願はくは持戒・誦經・念佛・行道し、及び諸の功德等を造らん。當今の施主及び同行の諸人、法界の衆生、今より已去、天神影衞して萬善扶持し、福命休強して諸の憂惱を離れ、