佛言はく、七日已後に之を見る。 譬へば人有りて夜星宿を觀るが如し、一星即ち是一佛なり、若し四衆有りて是の觀を作さば、一切の星を見るが如く、即ち一切の佛を見たてまつらん」と。又此の經を以て證す。亦是彌陀佛の三力外に加するが故に見佛す。三昧と言ふは、即ち是念佛の行人、心口に稱念して更に雜想無く、念念心を住して聲聲相續すれば、心眼即ち開けて彼の佛了然として現ずることを見たてまつることを得、即ち名けて定と爲す、亦三昧と名く。正に見佛する時、亦聖衆及び諸の莊嚴を見る。故に見佛淨土三昧增上縁と名く。

又『月燈三昧經』(卷一)に云ふが如し。「佛の相好及び德行を念じて、能く諸根をして亂動せざらしめ、心に迷惑無く法と合すれば、聞を得知を得ること、大海の如し。智者是の三昧に住して、念を攝して行ずれば、經行の所に於て、能く千億の諸の如來を見たてまつり、亦無量恆沙の佛に遇ひたてまつる」と。又此の經を以て證す。又是見佛三昧增上縁なり。

又『文殊般若經』(卷下意)に云ふが如し。「文殊、佛に白して言さく。云何が一行三昧と名くる。佛言はく。若し男子・女人、空閒の處に在りて、諸の亂意を捨て、佛の方所に隨ひて、端身正向して、相貌を取らず、專ら佛名を稱して、念休息すること無ければ、即ち念の中に於て能く過・現・未來の三世の諸佛を見たてまつる」と。又此の經を以て證す。即ち是諸佛同體の大悲、念力加備して見しむ。此れ亦是凡夫の見佛三昧增上縁なり。

[五縁功德分 攝生縁]
又攝生增上縁と言ふは、即ち『無量壽經』(卷上意)の四十八願の中に説くが如し。「佛言はく。若し我成佛せんに、十方の衆生、我國に生ぜんと願じて、我が名字を稱せんこと、下十聲に至るまで、我が願力に乘じて、若し生れずば、正覺を取らじ」と。此れ即ち是往生を願ずる行人、