彼の國に往生せんと願へば、彼の佛即ち無數の化佛、無數の化觀音・勢至菩薩を遣はして行者を護念したまふ。復前の二十五菩薩等と、百重千重行者を圍遶して、行住坐臥、一切の時處、若しは晝若しは夜を問はず、常に行者を離れたまはず。今既に斯の勝益有ます、憑むべし。願はくは諸の行者、各々至心を須ひて往を求めよ。

又『無量壽經』に云ふが如し。若し我成佛せんに、十方の衆生、我が名號を稱せんこと、下十聲に至るまで、若し生れずば正覺を取らじ。彼の佛今現に在まして世成佛したまへり。當に知るべし、本誓重願虚しからざることを、衆生稱念すれば必ず往生を得と。又『彌陀經』に云ふが如し。「若し衆生有りて、阿彌陀佛を説くを聞きて即ち名號を執持すべし。若しは一日、若しは二日、乃至七日、一心に佛を稱して亂れざれ。命終らんと欲する時、阿彌陀佛諸の聖衆と現じて其の前に在まさん。此人終らん時、心顛倒せず即ち彼の國に往生を得ん。佛舍利弗に告げたまはく。我是の利を見るが故に是の言を説く。若し衆生有りて、是の説を聞かん者は、當に願を發し彼の國に生ぜんと願ずべし」と。次下に説きて云く。東方如恆河沙等の諸佛、南西北方及び上下、一一の方に恆河沙等の諸佛の如き、各々本國にして、其の舌相を出して、徧く三千大千世界に覆ひて、誠實の言を説きたまはく。汝等衆生、皆應に是の一切諸佛の護念したまふ所の經を信ずべし。云何が護念と名くると。若し衆生有りて、阿彌陀佛を稱念せんこと、若しは七日一日下十聲乃至一聲・一念等に及ぶまで、必ず往生を得と。此の事を證誠せるが故に、護念經と名く。次下の文に云く。若し佛を稱して往生する者は、常に六方恆河沙等の諸佛の爲に護念せらる、故に護念經と名く。今既に此の增上の誓願有ます、憑むべし。諸の佛子等、何ぞ意を勵まして去かざらんや。