云何が作業して淸淨と名くることを得るや。答て曰く。一切の不善の法は、自他の身口意に總て斷じて行ぜざる、是を淸淨と名く。又自他の身口意相應の善に、即ち上上の隨喜の心を起すこと、諸佛菩薩の所作の隨喜の如く、我も亦是の如く隨喜す。此の善根を以て廻して淨土に生ず。故に名けて正因と爲す。又淨土に生ぜんと欲はば、必ず須く自ら勸め他を勸めて廣く淨土の依正二報の莊嚴の事を讚ずべし。亦須く淨土に入る縁起、娑婆を出づる本末を知るべし。諸の有智の者、應に知るべし。
又問て曰く。般舟三昧樂とは、是何の義ぞや。答て曰く。梵語には般舟と名く、此には翻じて常行道と名く。或は七日・九・十日、身行無間なるを總じて三業無間と名く、故に般舟と名くるなり。又三昧と言ふは、亦是西國の語、此には翻じて名けて定と爲す。前の三業無間に由て、心至りて感ずる所、即ち佛境現前す。正境現ずる時、即ち身心内悅す。故に名けて樂と爲す、亦立常見諸佛と名く。應に知るべし。

 般舟三昧樂願往生 三界六道は苦停め難し無量樂
 曠劫より已來常に沒沒たり願往生 到る處唯生死の聲のみを聞く無量樂
 釋迦如來の眞の報土は願往生 淸淨莊嚴の無勝是なり無量樂
 娑婆を度せんが爲に分化して入り願往生 八相成佛して衆生を度したまふ無量樂
 或は人・天・二乘の法を説き願往生 或は菩薩涅槃の因を説き無量樂
 或は漸に或は頓に空有を明して願往生 人・法二障雙がら除かしめたまふ無量樂