定善の一門は韋提請じ願往生 散善の一行は釋迦開きたまふ無量樂
 定散倶に迴して寶國に入れ願往生 即ち是如來の異の方便なり無量樂
 韋提は即ち是女人の相願往生 貪瞋具足の凡夫の位なり無量樂
 娑婆を厭捨して佛國を求むれば願往生 即ち極樂莊嚴の界を現ず無量樂
 極樂を見ることを得て心歡喜し願往生 更に彌陀を覩て法忍を成ず無量樂
 五百の女人同じく佛に白す願往生 誓願して同じく安樂國に生ぜんと無量樂
 爾の時に世尊皆印記したまふ願往生 同じく往生を得て三昧を證せんと無量樂
 釋梵・護世空に臨みて聽き願往生 亦同じく安樂に生ぜんと發願す無量樂
 普く有縁に勸む常に念佛して願往生 觀音・大勢と同學と爲れ無量樂
 若し能く念佛するものは人中の上なり願往生 願はくは同じく諸佛の家に生ずることを得て無量樂
 長劫長時に佛邊にして證せん願往生 道場の妙果豈賖なりと爲んや無量樂

諸の行者に白さく。凡夫生死貪して厭はざるべからず、彌陀の淨土輕しめて忻はざるべからず。厭へば則ち娑婆永く隔つ、忻へば則ち淨土に常に居せり。隔つれば則ち六道の因亡じ、淪迴の果自ら滅す。因果既に亡じて則ち形と名と頓に絶えぬるをや。仰いで惟みれば同生の知識等、善く自ら思量せよ。卻きて受生の無際なることを推するに、空性と同時なり。同時にして心識有り。若し空界と同時ならずして有りといはば、