前の進士爲憲『法華經賦』を作れり。同じく亦贈りて異域の此の志有るものに知らしめんと欲す。嗟呼一生は苒苒たり、兩岸は蒼蒼たり。後會如何せん。泣血する而已。不宣以状。
   寛和二年正月十五日
                     天台楞嚴院 某申状
 大宋國賓旅の下


    返  報

大宋國の台州の弟子周文德謹みて啓す。仲春暫く暖にして、和風霞散す。伏して惟みれば、法位動き無く尊躰有泰なるや。不審し不審し。悚恐る悚恐る。唯文德入朝の初、先づ方に向ひて禪室を禮拝せり。舊冬の内、便信を喜びて委曲を啓上せり。則ち大府の貫首、豐嶋の才人に、書状一封を附して、奉上すること先に畢んぬ。計みるに、被覽を經つらんや。欝望の情、朝夕休まず。馳憤の際に、便脚に遇ひて重ねて啓達す。唯大師撰擇の『往生要集』三卷は、捧持して天台の國清寺に詣り、附入すること既に畢んぬ。則ち專當の僧、領状を予に請けたり。爰に緇素隨喜し、貴賤歸依して、結縁の男女の弟子伍百餘人、各々虔心を發し、淨財を投捨し、國清寺に施入して、忽に五十間の廊屋を餝り造れり。柱壁を彩畫し、内外を莊嚴し、供養し禮拝し、瞻仰し慶讃す。佛日光を重ね、法燈朗かなるを盛せり。興隆佛法の洪基、