[結勸]

計みるに、夫れ速に生死を離れむと欲はば、二種の勝法の中に、且く聖道門を閣きて、選びて淨土門に入れ。淨土門に入らんと欲はば、正・雜二行の中に、且く諸の雜行を抛ちて、選びて正行に歸すべし。正行を修せんと欲はば、正・助二業の中に、猶助業を傍らにして、選びて正定を專らにすべし。正定の業とは、即ち是佛の名を稱するなり。稱名は必ず生を得、佛の本願に依るが故に。 問て曰く。華嚴・天台・眞言・禪門・三論・法相の諸師、各々淨土の法門の章疏を造れり。何ぞ彼等の師に依らずして、唯善導一師を用ふるや。答て曰く。彼等の諸師、各々皆淨土の章疏を造ると雖も、而も淨土を以て宗と爲さず、唯聖道を以て而も其の宗と爲す。故に彼等の諸師に依らざるなり。善導和尚は、偏に淨土を以て、而も宗と爲して聖道を以て宗と爲さず。故に偏に善導一師に依るなり。 問て曰く。淨土の祖師、其の數又多し、謂く弘法寺の迦才・慈愍三藏等是なり。何ぞ彼等の諸師に依らずして、唯善導一師を用ふるや。答て曰く。斯等の諸師、淨土を宗とすと雖も、未だ三昧を發せず、善導和尚は是三昧發得の人なり。道に於て既に其の證有り。故に且く之を用ふ。 問て曰く。若し三昧發得に依らば、懷感禪師も亦是三昧發得の人なり。何ぞ之を用ひざるや。答て曰く。善導は是師なり、懷感は是弟子なり。故に師に依て弟子に依らざるなり。況や師資の釋、其の相違甚だ多し。故に之を用ひざるなり。 問て曰く。若し師に依つて弟子に依らずば、道綽禪師は、是善導和尚の師なり、抑又淨土の祖師なり、何ぞ之を用ひざるや。答て曰く。道綽禪師は、是師なりと雖も、未だ三昧を發せず。故に自ら往生の得否を知らずして、善導に問て曰く。道綽念佛す、往生を得るや否やと。導一莖の蓮華を辨じて、之を佛前に置かしめて、行道七日せんに萎悴せずば即ち往生を得んと。