令心眼見。見此事者、即見十方 一切諸佛。以見諸佛、故名念佛三昧。作是觀者、名觀一切佛身。以觀佛身故、亦見佛心。佛心者大慈悲是。以無縁慈、攝諸衆生。作此觀者、捨身他世 生諸佛前、得無生忍。是故智者、應當繫心 諦觀無量壽佛。觀無量壽佛者、從一相好入。但觀眉間白毫、極令明了。見眉間白毫者、八万四千相好、自然當見。見無量壽佛者、即見十方 無量諸佛。得見無量諸佛故、諸佛現前受記。是爲徧觀 一切色身想、名第九觀。作此觀者、名爲正觀。若他觀者、名爲邪觀。
佛告阿難 及韋提希。見無量壽佛、了了分明已、次復當觀 觀世音菩薩。此菩薩身長、八十万億那由他由旬。
この観を作すをば、一切の仏身を観ずと名づく。仏身を観ずるをもってのゆえに、また仏心を見る。仏心というは大慈悲これなり。無縁の慈をもってもろもろの衆生を摂す。この観を作せば、身を捨てて他世に諸仏の前に生じて、無生忍を得。このゆえに智者、応当に心を繫けて、あきらかに無量寿仏を観ずべし。無量寿仏を観ぜば、一つの相好より入れ。但、眉間の白毫を観じて、極めて明了ならしめよ。眉間の白毫を見れば、八万四千の相好、自然に当に現ずべし。無量寿仏を見たてまつるは、すなわち十方無量の諸仏を見たてまつるなり。無量の諸仏を見たてまつることを得るがゆえに、諸仏現前に授記す。これを「遍観一切色身想」とす、「第九の観」と名づく。この観を作すをば名づけて正観とす。もし他観するをば名づけて邪観とす。」
仏、阿難および韋提希に告げたまわく、「無量寿仏を見たてまつること了了分明なること已りて、次にまた当に観世音菩薩を観ずべし。この菩薩身の長八十万億那由他由旬なり。身紫金色なり。