p.159 顕浄土真実行文類二(教行信証・行)
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『無量清浄平等覚経』巻上に言わく、我作仏せん時、我が名をして八方・上下・無数の仏国に聞かしめん。諸仏、おのおの弟子衆の中にして我が功徳・国土の善を嘆ぜん。諸天・人民・蠕動の類、我が名字を聞きてみなことごとく踊躍せんもの、我が国に来生せしめん。しからずは我作仏せじ、と。
我作仏せん時、他方仏国の人民、前世に悪のために我が名字を聞き、および正しく道のために我が国に来生せんと欲わん。寿終えてみなまた三悪道に更らざらしめて、すなわち我が国に生まれんこと、心の所願にあらん。しからずは我作仏せじ、と。
阿闍世王太子および五百の長者子、無量清浄仏の二十四願を聞きて、みな大きに歓喜し踊躍して、心中にともに願じて言わまく、「我等後に、作仏せん時、みな無量清浄仏のごとくならしめん」と。仏すなわちこれを知ろしめして、もろもろの比丘僧に告げたまわく、「この阿闍世王太子および五百の長者子、後無央数劫を却りて、みな当に作仏して無量清浄仏のごとくなるべし」と。仏の言わく、「この阿闍世王太子・五百の長者子、菩薩の道を作してこのかた無央数劫に、みなおのおの四百億仏を供養し已りて、今また来りて我を供養せり。この阿闍世王太子および五百人等、みな前世に迦葉仏の時、我がために弟子と作れりき。今みなまた会して、これ共にあい値えるなり。」すなわちもろもろの比丘僧、仏の言を聞きて、みな心踊躍して歓喜せざる者なけん、と。
乃至
かくのごときの人、仏の名を聞きて、 快安穏にして、大利を得ん。