かならず当に世尊と作りて、将に 一切生老死を度せんとすべし、と。已上
 16『悲華経』「大施品」の二巻に言わく、曇無讖三蔵訳 願わくは、我、阿耨多羅三藐三菩提を成り已らんに、無量無辺阿僧祇の余仏の世界の所有の衆生、我が名を聞かん者、もろもろの善本を修して我が界に生まれんと欲わん。願わくはそれ捨命の後、必定して生を得しめん。ただ、五逆と、聖人を誹謗せんと、正法を廃壊せんとを除かん、と。已上
 17しかれば名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまう。称名はすなわちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなわちこれ念仏なり。念仏はすなわちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなわちこれ正念なりと、知るべしと。
爾者称名能破衆生一切無明、能満衆生一切志願。称名則是最勝真妙正業。正業則是念仏。念仏則是南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏即是正念也、可知。
 18『十住毘婆沙論』(入初地品)に曰わく、ある人の言わく、「般舟三昧および大悲を諸仏の家と名づく、この二法よりもろもろの如来を生ず。」この中に般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。また次に、般舟三昧はこれ父なり、無生法忍はこれ母なり。『助菩提』(菩提資糧論)の中に説くがごとし。「般舟三昧の父、大悲無生の母、一切のもろもろの如来、この二法より生ず」と。家に過咎なければ家清浄なり。かるがゆえに「清浄」は六波羅蜜・四功徳処なり。方便般若波羅蜜は善慧なり。般舟三昧・大悲・諸忍、この諸法清浄にして過あることなし。かるがゆえに「家清浄」と名づく。この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎ある