p.177 顕浄土真実行文類二(教行信証・行)
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(観念法門)
また云わく、「摂生増上縁」と言うは、『無量寿経』の四十八願の中に説くがごとし。仏の言わく、「もし我成仏せんに、十方の衆生、我が国に生まれんと願じて我が名字を称すること、下十声に至るまで、我が願力に乗じてもし生まれずは、正覚を取らじ」と。これすなわちこれ、往生を願ずる行人、命終わらんとする時、願力摂して往生を得しむ。かるがゆえに摂生増上縁と名づく。
また云わく、善悪の凡夫、回心を起行して、ことごとく往生を得しめんと欲す。これまたこれ「証生増上縁」なり、と。
已上
(般舟讃)
また云わく、門門不同にして八万四なり。無明と果と業因とを滅せんための利剣は、すなわちこれ弥陀の号なり。一声称念するに、罪みな除こると。微塵の故業と随智と滅す。覚えざるに、真如の門に転入す。娑婆長劫の難を免るることを得ることは、特に知識釈迦の恩を蒙れり。種種の思量巧方便をもって、選びて弥陀弘誓の門を得しめたまえり。
已上抄要
しかれば、「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は、
至なり
、また帰説[よりたのむなり]なり。説の字、
悦の音
、また帰説[よりかかるなり]なり、説の字は、
税の音、悦税二つの音は告ぐるなり、述なり、人の意を宣述るなり。
「命」の言は、
業なり、招引なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計なり、召なり。
ここをもって、「帰命」は本願招喚の勅命なり。
「発願回向」と言うは、如来すでに発願して、衆生の行を回施したまうの心なり。
爾者南無之言帰命。帰言
至也
又帰説也 説字
悦音
又帰説也 説字
税音悦税二音告也述也宣述人意也
命言
業也招引也使也教也道也信也計也召也
是以帰命者本願招喚之勅命也。言発願回向者如来已発願回施衆生行之心也。