すなわち偈を説きて言わく、「もし常に愁苦せば、愁ついに増長せん。人、眠を喜めば、眠すなわち滋く多きがごとし。淫を貪し酒を嗜むも、またかくのごとしと。王の言うところのごとし、「世に五人あり、地獄を脱れず」とは、誰か往きてこれを見て、来りて王に語るや。「地獄」と言うは、直ちにこれ世間に多く智者説かく、王の言うところのごとし、世に良医の身心を治する者なけん。今大医あり、「富闌那」と名づく。一切知見して自在を得て、定んで畢竟じて清浄梵行を修習して、常に無量・無辺の衆生のために、無上涅槃の道を演説す。もろもろの弟子のために、かくのごときの法を説けり、「黒業あることなければ黒業の報なし。白業あることなければ白業の報なし。黒・白業なければ黒・白業の報なし。上業および下業あることなし」と。この師いま、王舎城の中にいます。やや願わくは大王、屈駕して彼に往け、この師、身心を療治せしむべし」と。時に王、答えて言わまく、「審かによくかくのごとき我が罪を滅除せば、我当に帰依すべし」と。
また一の臣あり、名づけて「蔵徳」と曰う。また王の所へ往きてこの言を作さく、「大王、何がゆえぞ面貌憔悴して、唇口乾燋し、音声微細なるや、と。乃至 何の苦しむるところあってか、身痛とやせん、心痛とやせん」と。王すなわち答えて言わく、「我今身心いかんぞ痛まざらん。我これ痴盲にして慧目あることなし。もろもろの悪友に近づきて、これよく提婆達多悪人の言に随いて、正法の王に横に逆害を加す。我昔かつて、智人の偈説を聞きき、もし父母・仏および弟子において、不善の心を生じ、悪業を起こさん。かくのごときの果報、阿鼻獄にあり、と。この事をもってのゆえに、我心怖して大苦悩を生ぜしむ、と。また良医の救療を