一大臣、名づけて月称と曰う、
一富闌那と名づく。
二蔵徳、
二末伽梨拘賖梨子と名づく。
三一臣あり、名づけて実徳と曰う、
三刪闍邪毘羅胝子と名づく。
四一臣あり、悉知義と名づく、
四阿耆多翅舎欽婆羅と名づく。
五大臣、名づけて吉徳と曰う、
五迦羅鳩駄迦旃延。
六無所畏、
六尼乾陀若提子と名づく。
(梵行品)また言わく、善男子、我が言うところのごとし、阿闍世王の「為」に涅槃に入らず。かくのごときの密義、汝未だ解することあたわず。何をもってのゆえに、我、「為」と言うは一切凡夫、「阿闍世」は普くおよび一切、五逆を造る者なり。また「為」は、すなわちこれ一切有為の衆生なり。我ついに無為の衆生のためにして世に住せず。何をもってのゆえに。それ無為は衆生にあらざるなり。「阿闍世」は、すなわちこれ煩悩等を具足せる者なり。また「為」は、すなわちこれ仏性を見ざる衆生なり。もし仏性を見んものには、我ついにために久しく世に住せず。何をもってのゆえに、仏性を見る者は衆生にあらざるなり。「阿闍世」は、すなわちこれ一切、未だ阿耨多羅三藐三菩提心を発せざる者なり。
乃至 また「為」は、名づけて仏性とす。「阿闍」は、名づけて不生とす。「世」は、怨に名づく。仏性を生ぜざるをもってのゆえに、すなわち煩悩の怨生ず。煩悩の怨生ずるがゆえに、仏性を見ざるなり。煩悩を生ぜざるをもってのゆえに、すなわち仏性を見る。仏性を見るをもってのゆえに、すなわち大般涅槃に安住することを得。これを「不生」と名づく。このゆえに名づけて