諸仏の弟子、この語を説き已りて、すなわち種種の宝幢をもって、
乃至 また偈頌をもって讃嘆して言さく、
実語はなはだ微妙なり、 善巧、句義において
甚深秘密の蔵なり、 衆のためのゆえに、
所有広博の言を、顕示す。 衆のためのゆえに略して説かく、
かくのごときの語を具足して、 よく衆生を療す。
もしもろもろの衆生ありて、 この語を聞くことを得る者は、
もしは信および不信、 定んでこの仏説を知らん。
諸仏常に軟語をもって、 衆のためのゆえに麁を説きたまう。
麁語および軟語、 みな第一義に帰せん。
このゆえに我いま、 世尊に帰依したてまつる。
如来の語は一味なること、 なお大海の水のごとし。
これを第一諦と名づく。 かるがゆえに無無義の語にして、
如来いま説きたまうところの 種種の無量の法、
男女・大小、聞きて、 同じく第一義を獲しめん。
無因また無果なり、 無生また無滅なり、
これを「大涅槃」と名づく。 聞く者、諸結を破す。