方に悔心を生ず。雨行大臣、また種種の悪邪の法をもって、ためにこれを説く、大王、一切の業行すべて罪あることなし。何がゆえぞいま悔心を生ずるや、と。耆婆また言わく、大王、当に知るべし。かくのごときの業は、罪業二重なり。一つには父の王を殺す、二つには須陀洹を殺せり。かくのごときの罪は、仏を除きてさらによく除滅したまう者ましまさず、と。善見王言わく、「如来は清浄にして穢濁ましますことなし。我等罪人いかんしてか見たてまつることを得ん。」善男子、我この事を知らんと。阿難に告げたまわく、三月を過ぎ已りて吾当に涅槃すべきがゆえに、と。善見聞き已りて、すなわち我が所に来れり。我ために法を説きて、重罪をして薄きことを得しめ、無根の信を獲しむ。善男子、我がもろもろの弟子この説を聞き已りて、我が意を解らざるがゆえに、この言を作さく、「如来定んで畢竟涅槃を説きたまえり。」善男子、菩薩に二種あり、一つには実義、二つには仮名なり。仮名の菩薩、「我三月あって当に涅槃に入るべし」と聞きて、みな退心を生じてこの言を作さく、「もしそれ如来無常にして住したまわずは、我等いかがせん。この事のためのゆえに、無量世の中に大苦悩を受けき。如来世尊は無量の功徳を成就し具足したまいて、なお壊することあたわず、かくのごときの死魔をや。いわんや我等が輩、当によく壊すべけんや。」善男子、このゆえに我かくのごとき菩薩のためにして、この言を作さく、「如来は常住にして変易あることなし。」我がもろもろの弟子、この説を聞き已りて我が意を解らざれば、定んで言わく、如来は終に畢竟じて涅槃に入りたまわず、と。已上抄出
是以、今拠大聖真説、難化三機・難治三病者、憑大悲弘誓、帰利他信海、矜哀斯治、