を超発す。また『観経』には方便・真実の教を顕彰す。『小本』
(阿弥陀経)には、ただ真門を開きて方便の善なし。ここをもって三経の真実は、選択本願を宗とするなり。また三経の方便は、すなわちこれもろもろの善根を修するを要とするなり。
これに依って方便の願を案ずるに、仮あり真あり、また行あり信あり。願は、すなわちこれ臨終現前の願なり。行は、すなわちこれ修諸功徳の善なり。信は、すなわちこれ至心発願欲生の心なり。
この願の行信に依って、浄土の要門、方便権仮を顕開す。この要門より正・助・雑の三行を出だせり。この正助の中について、専修あり雑修あり。機について二種あり。一つには定機、二つには散機なり。また二種の三心あり。また二種の往生あり。二種の三心とは、一つには定の三心、二つには散の三心なり。定散の心は、すなわち自利各別の心なり。二種の往生とは、一つには即往生、二つには便往生なり。便往生とは、すなわちこれ胎生辺地・双樹林下の往生なり。即往生とは、すなわちこれ報土化生なり。
またこの『経』に真実あり。これすなわち金剛の真心を開きて、
亦観経顕彰方便真実之教、小本唯開真門無方便之善。是以三経真実選択本願為宗也。復三経方便即是修諸善根、為要也。依此案方便之願、有仮有真、亦有行有信。願者即是臨終現前之願也。行者即是修諸功徳之善也。信者即是至心発願欲生之心也。依此願之行信、顕開浄土之要門方便権仮。従此要門、出正・助・雑三行。就此正助中、有専修有雑修。就機有二種、一者定機、二者散機也。又有二種三心、亦有二種往生。二種三心者、一者定三心、二者散三心。定散心者即自利各別心也。二種往生者、一者即往生、二者便往生。便往生者即是胎生辺地双樹林下往生也。即往生者即是報土化生也。亦此経有真実、