仮門の教、欣慕の釈、これいよいよ明らかなり。
二経の三心、顕の義に依れば異なり。彰の義に依れば一なり。三心一異の義、答え竟りぬと。
また問う。『大本』と『観経』の三心と、『小本』の一心と、一異いかんぞや。
答う。いま方便真門の誓願について、行あり信あり、また真実あり方便あり。「願」とは、すなわち植諸徳本の願これなり。「行」とは、これに二種あり。一つには善本、二つには徳本なり。「信」とは、すなわち至心回向欲生の心これなり。「機」について定あり散あり。「往生」とは、これ難思往生これなり。「仏」とは、すなわち化身なり。「土」とは、すなわち疑城胎宮これなり。
『観経』に准知するに、この経にまた顕彰隠密の義あるべし。
「顕」と言うは、経家は一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして、難思の往生を勧む。ここをもって『経』
(襄陽石碑経)には「多善根・多功徳・多福徳の因縁」と説き、『釈』
(法事讃)には「九品ともに回して、不退を得よ」と云えり。あるいは