p.347 顕浄土方便化身土文類六 本(教行信証・化身土 本)
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名づくるなり。
「善本」とは如来の嘉名なり。この嘉名は万善円備せり、一切善法の本なり。かるがゆえに善本と曰うなり。
「徳本」とは如来の徳号なり。この徳号は、一声称念するに、至徳成満し、衆禍みな転ず、十方三世の徳号の本なり。かるがゆえに徳本と曰うなり。
しかればすなわち釈迦牟尼仏は、功徳蔵を開演して、十方濁世を勧化したまう。阿弥陀如来は、もと果遂の誓いを発して、諸有の群生海を悲引したまえり。
すでにして悲願います。「植諸徳本の願」と名づく、また「係念定生の願」と名づく、また「不果遂者の願」と名づく。また「至心回向の願」と名づくべきなり。
願求本願力、是名自力之専心也。善本者如来嘉名。此嘉名者万善円備、一切善法之本、故曰善本也。徳本者如来徳号。此徳号者一声称念、至徳成満、衆禍皆転、十方三世徳号之本、故曰徳本也。然則釈迦牟尼仏開演功徳蔵、勧化十方濁世。阿弥陀如来本発果遂之誓、悲引諸有群生海。既而有悲願、名植諸徳本之願、復名係念定生之願、復名不果遂者之願。亦可名至心回向之願也。
ここをもって『大経』の願に言わく、設い我仏を得たらんに、十方の衆生、我が名号を聞きて、念を我が国に係けて、もろもろの善本を植えて、心を至し回向して、我が国に生まれんと欲わん。果遂せずは正覚を取らじ、と。
また言わく、この諸智において疑惑して信ぜず、しかるになお罪福を信じて、善本を修習して、その国に生まれんと願ぜん。このもろもろの衆生、かの宮殿に生まる、と。