口業に厭離真実なり、
 二には身業に欣求真実
    身業に厭離真実なり、
 三には意業に欣求真実
    意業に厭離真実なり。
 宗師の釈文を案ずるに「一者真実心中」已下より「自他凡聖等善」に至るまでは、厭離を先となし、欣求を後となす。すなわちこれ難行道、自力竪出の義なり。「真実心中口業」已下より「自他依正二報」に至るまでは、すなわちこれ易行道、他力横出の義なり。
 「二には深心、深心と言うはすなわちこれ深信の心なり。また二種あり。
 一には決定して「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来常に没し常に流転して出離の縁あることなし」と深信すべし。二には決定して「かの阿弥陀仏の四十八願、衆生を摂受したまう、疑いなく慮なくかの願力に乗ずれば定んで往生を得」と深信せよとなり。」
 今この深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。