しと、如来はときたまえり。しかれども、如来の尊号を称念するゆえに、胎宮にとどまる。徳号によるがゆえに、難思往生ともうすなり。不可思議の誓願、疑惑するつみによりて、難思議往生とはもうさずとしるべきなり。
 植諸徳本の願文、『大経』に言わく、「設我得仏、十方衆生、聞我名号、係念我国、植諸徳本、至心回向、欲生我国、不果遂者、不取正覚」
 同本異訳の『無量寿如来会』に言わく、「若我成仏、無量寿国中所有衆生、聞説我名、以己善根、回向極楽、若不生者、不取菩提」
 願成就の文、『経』に言わく、「其胎生者所処宮殿、或百由旬、或五百由旬。各於其中、受諸快楽、如忉利天上、亦皆自然。爾時慈氏菩薩、白仏言、世尊、何因・何縁、彼国人民、胎生化生。仏告慈氏、若有衆生、以疑惑心、修諸功徳、願生彼国、不了仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智、於此諸智、疑惑不信。然猶信罪福修習善本、願生其国。此諸衆生、生彼宮殿、寿五百歳、常不見仏、不聞経法、不見菩薩・声聞・聖衆。是故彼国土謂之胎生。乃至 弥勒当知、彼化生者、智慧勝故、其胎生者、皆無智恵。乃至 仏告弥勒、譬如転輪聖王有七宝牢獄、種種荘厳、張設床帳、懸諸繒幡、若諸小王子、得罪於王、輒内彼獄中、繫以金鎖。乃至 仏告弥勒、此諸衆生、亦復如是、以疑惑仏智故、生彼胎宮、乃至 若此衆生、識其本罪、深自悔責、求離彼処、