あしきことをせざらんこそ、世をいとい、念仏もうすことにてはそうろうに、としごろ、念仏をするひとなんどの、ひとのためにあしきことをもし、また、いいもせんは、世をいとうしるしもなし。されば、善導の御おしえには、「悪をこのまんひとをば、うやまいて、とおざかれ」(散善義意)とこそ、至誠心のなかには、おしえおかせおわしましてそうらえ。いつかは、わがこころのわるきにまかせてふるまえとはそうろう。おおかたは、経釈の文をもしらず、如来の御ことをもしらぬ身にて、ゆめゆめその沙汰あるべくもそうらわず。また、往生は、なにごともなにごとも、凡夫のはからいならず、如来の御ちかいに、まかせまいらせたればこそ、他力にてはそうらえ。ようようにはからいおうてそうろうらん、おかしくそうろう。あなかしこ、あなかしこ。
十一月廿四日 親鸞
(六)なにごとよりは、如来の御本願のひろまらせたまいてそうろうこと、かえすがえす、めでたく、うれしくそうろう。そのことに、おのおのところどころに、われはということをおもうてあらそうこと、ゆめゆめあるべからずそうろう。京に、一念多念なんどもうす、あらそうことのおおくそうろうようにあること、さらさらそうろうべからず。ただ、詮ずるところは、、『唯信鈔』・『後世物語』。『自力他力』、この御文どもを、よくよくつねにみて、その御こころにたがえず、おわしますべし。いずかたのひとびとにも、このこころをおおせられそうろうべし。なおおぼつかなきことあらば、今日までいきてそうらえば、わざとも、これへたずねたまうべし。また、便にも、おおせたまうべし。鹿島・行方、そのならびのひとびとにも、このこころを、よくよ