十一月廿五日
真仏御坊御返事

(一七)ひとびとのおおせられてそうろう十二光仏の御ことのよう、かきしるしてくだしまいらせそうろう。くわしくかきまいらせそうろうべきようもそうらわず。おろおろかきしるしてそうろう。詮ずるところは、無碍光仏ともうしまいらせそうろうことを本とせさせたまうべくそうろう。無碍光仏は、よろずのもののあさましきわるきことにさわりなく、たすけさせたまわん料に、無碍光仏ともうすとしらせたまうべくそうろう。あなかしこ、あなかしこ。
 十月廿一日
唯信御坊御返事

(一八)諸仏称名の願ともうし、諸仏咨嗟の願ともうしそうろうなるは、十方衆生をすすめんためときこえたり。また、十方衆生の疑心をとどめん料ときこえてそうろう。『弥陀経』の十方諸仏の証誠のようにてきこえたり。詮ずるところは、方便の御誓願と信じまいらせそうろう。念仏往生の願は、如来の往相回向の正業正因なりとみえてそうろう。まことの信心あるひとは、等正覚の弥勒とひとしければ、「如来とひとし」とも、諸仏のほめさせたまいたりとこそ、きこえてそうらえ。また、弥陀の本願を信じそうらいぬるうえには、義なきを義とすとこそ、大師聖人のおおせにてそうらえ。かように義のそうろうらんかぎりは、他力にはあらず、自力なりときこえてそうろう。他力ともうすは、仏智不思議にてそうろうなるときに、煩悩具足の凡夫の無上覚の