浄土真要鈔末

 問うていわく、念仏の行者一念の信心さだまるとき、あるいは「正定聚に住す」といい、あるいは「不退転をう」ということ、はなはだおもいがたし。そのゆえは、正定聚というはかならず無上の仏果にいたるべきくらいにさだまるなり。不退転というは、ながく生死にかえらざる義をあらわすことばなり。そのことばことなりといえども、そのこころおなじかるべし。これみな浄土にうまれてうるくらいなり。しかれば、「即得往生 住不退転」といえるも、浄土にしてうべき益なりとみえたり。いかでか穢土にしてたやすくこのくらいに住すというべきや。
 こたえていわく、土につき機につきて退・不退を論ぜんときは、まことに、穢土の凡夫、不退にかなうとい